一部では評判がよかったけれど、文庫に入るとは思わなかった。
それほど厚い本じゃないし、行数も漢字も少なめで、とっつきやすそうだ。
だけど、仏教に対して誤ったイメージをいだいていれば、
書かれていることは、刺激的でおもしろい。
目からウロコがボロボロ落ちることだろう。
しかし、1度や2度読んだくらいで理解するのはむりだ。
霧の中にでもいるようで、ぼやけていて何もわからない。
けれども、なんだかおもしろそうなものがあるのはわかる。
そんな気分だった。
著者がいう仏教とは、ぼくらとおなじ人間であるブッダが説いた哲学のこと。
ということは、理屈で理解することができるのだろう。
だけど、いくら頭で納得できても、感情的に肚におちないかぎり、迷いつづけそうだ。
本書で引用されていることばのほとんどは、
ブッダの死後数百年たってから作られた大乗経典ではなく、
実在したブッダのことばだとされるものを集めた
『ブッダのことば―スッタニパータ』からとられている。
これを読むと、なんとなくいだいている仏教のイメージが、
ブッダの考えたものとはかなり違っているのがわかる。
とにかく誤解だらけ。
前にも何かで読んだことがあるが、禅宗以外の日本の仏教は、
どちらかといえばキリスト教に近いようだ。
ところで、ブッダは「悟った人」を意味する普通名詞だそうで、
特定の人をさすわけではないのだが、ややこしくなるから、
ここでは仏教の創始者であるゴータマ・シッダールタのことにしてある。
ブッダの思想の出発点は、人生は苦しみだ、ということ。
だから、まずその原因をさがし、苦しみをなくすにはどうすればいいかを考える。
簡単にいえばそういうことなのだが。
著者はふたつのキーワードをだしている。
「縁起」と「空」で、これを知ることが悟ることだという。
≪ すべてのものが関係しあって互いの存在を支えている。この世のどこを見ても、いっさいを縁起の理が貫いている。これがブッダの悟りである。
「縁起」という言葉がなじまず、いまひとつ分かりにくいというのなら、「関係性」と言いかえてもかまわない。≫人でも物でも、それだけでは何なのか、わからない。
ほかのものとの関係があって、はじめて性格みたいなものがはっきりしてくる。
≪「空」とは、そこに見えているものには「実体がない」ということを意味している。
普通は、実体があるからこそ、そこに物や人が存在していると考える。しかし仏教では、その存在はたんに現象にすぎないのだと見る。
だから、「空」とは、決して存在の「無」を意味する言葉ではなく、実体の「無」を意味すると同時に、現象の「有」を意味している言葉、となる。≫いまのところ、理解できないし、いつかわかるかどうかもあやしい。
では、悟りとは何か?
著者によれば、
≪一種の精神的な自由の広がりを得ることに似ているといえるかもしれない。≫となる。
これが仏教の「救い」なのだそうだ。
≪「救い」というと、奇跡のようなことが起きたり、病気が治ったりするようなことを想像する。しかし、何かがガラリと変わる前に、自分の心の向きが変わるのがふつうである。
自分の心が変わることによって体も変わり、周囲も変わる。総じて、その変化が具体的な救いとなるわけなのである。≫何度も読み返したくなる本だ。
「超」入門とあるけれど、この「超」がくせもの。
入門どころじゃない。これだけわかれば相当なものだ。