serendipity

如是我読  ペンギンは読書中

 
刺激的な本だった。
ぼくにとっては。
手ごわかった。
おもしろかった。

高校生くらいがメインターゲットだと思うが、
プリマー新書には、読みごたえのある本が多い。

まえがきで、もう、引きこまれた。
読書に集中するには、体がじゃまで、
それ以上に自分の意識がじゃまだ、
なんて書いてある。
考えたこともなかったが、
たしかにそうかもしれない。
先が楽しみになった。

この本は、4つの章にわかれている。
第1章の「本を読む前にわかること」では、
ことばについて考えているらしい。
第2章の「小説とはどういうものか」は、
小説について、読者との関係について。
第4章の「「正しさ」はかわることがある」では
評論の読み方などが述べられている。

ぼくにとって刺激的でおもしろかったのは、
第3章の「読者はどういう仕事をするのか」だ。
小説の秘密を教わり、読み方を教わった。
無意識にやっていることを、わかりやすく説明してくれた。
これで読み方が変わらなければ、おかしいと思えるほどだ。

小説では、かなりの部分が省略されている。
それをおぎなって、物語に仕上げていくのが、
読者の仕事なのだそうだ。

≪ たとえば、断片的で隙間だらけなのにあたかも出来事が
連続しているように見せかけることは、つまり部分を全体に
見せかけることは、小説という芸術にとってまずはじめに
やらなければならない事柄である。小説は長い時間をかけて
そういう技術を鍛えてきた。≫


たとえば、日常生活のことなどを描写する場合、
わかりきっている動作などは省略されて、
こちらの想像にまかせられたりする。
何から何まで文章にしたのでは、小説にはならないだろう。
だいいち不可能だ。

≪読者は、この文章にかかれなかった多くの動作 ― 蒲団から
出るとか洗面所に行くとか朝食を作るとか着替えるとか、そういう
動作を自分の経験に照らして補って読む。つまり、知らず知らずの
間に、言葉の隙間を埋めているのである。(略)その結果、断片的で
隙間だらけの文章が連続しているかのように感じられるのである。≫


ここから、古典はどうして時間による風化から守られるのか、
という話に入っていく。

印象に残ったのがこの個所。

≪そこで、小説の言葉が断片的で隙間だらけであることを
知りつくした作者、すなわち小説の読者が「想像力」で次々と
断片をつなげ、隙間を埋めるような勤勉かであることを知り
つくした作者なら、言葉の断片性を上手に利用して読者を欺く
ことで、自分の書いた小説をこうした時間による風化から守ろう
とするだろう。
 すぐれた作者は、最も大切な宝物をみすみす見えるところに
置いたりはしない。隠すのだ。小説家は自分の言いたいことを
書くために小説を書くのではない。自分のもっとも言いたいことを
隠すために書くのだ。もちろん、宝物が多く隠されている小説が
古典の名に値する。素人の小説家はそのあたりのことを間違えて、
一番言いたいことを書いてしまうものだが、プロの小説家はそんな
ヘマはしない。なぜなら、一番言いたいことを書いてしまったら、
一編しか小説が書けないからだ。≫


そして、夏目漱石を例にして、読者のすることが説明される。
小説は、そこまで読めるものなのかと驚かされ、
そこまで読みこまないとだめなのかと自信をなくしたりする。
自分にあった読み方をすればいいのだろうが。

著者は、ほかにもおもしろそうな本を何冊も書いている。
手に入るものから読んでみようかと思う。



未来形の読書術 (ちくまプリマー新書)未来形の読書術 (ちくまプリマー新書)
(2007/07)
石原 千秋

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>伊達斗馬さん
感想、ありがとうございます。
2012/04/01(日) 00:33:39 | URL | kenn #NV6rn1uo[ 編集]
うんうん
2012/03/31(土) 01:04:25 | URL | 伊達斗馬 #-[ 編集]
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小説というのは、こんなにも深く読めるのかと思った。 読みこめばそれだけ豊かな世界を味わえるのかもしれない。 こんなにも深く読まなけ...
2009/08/28(金) 17:19:56 | serendipity